六本木ヒルズ、すべてはここから始まったといっても過言ではない。
江戸時代より大名屋敷や、明治以降も外国人来日客に愛された六本木の地は、住宅密集地でもあるため、1984年に始まった同エリアの超大規模再開発の末、2003年にオープンした六本木ヒルズ森タワー。
この中に設置されている高級分譲賃貸タワーマンション「六本木ヒルズレジデンス」こそ、バブル崩壊後の日本を象徴する建築物であった。
先にアークヒルズが完成していたものの、17年の歳月をかけて完成した六本木ヒルズへの期待は高かった。
ロシアのプーチン大統領が訪れたり、「日韓交流まつり」が行なわれたりと、その後の効果はどうあれ国際交流の場として活用されている。
上棟記念パーティーには当時の大物閣僚が参加。特に小泉純一郎首相(当時)は六本木ヒルズを大絶賛、現在は息子の小泉進次郎がこの地でどんな方言挨拶を行なうかが注目されているはず。
一方、安部政権で「日本経済再生本部・産業競争力会議」のメンバーに選ばれた竹中平蔵経済財政担当相(当時)は、「六本木ヒルズ近くの自宅マンションから建設の様子を毎日眺めていた」と、自身のセレブぶりをアピールしたという。
こんな状況から、“六本木ヒルズ族”という言葉も生まれた。
「六本木ヒルズレジデンス」に住む者、六本木ヒルズに本社を置く企業の代表、あるいは同ビルで働く人たちのことを指すなど、その定義は人によって様々だ。
数々の報道でも明らかになったとおりの紆余曲折を経ながら、それでも“ネオヒルズ族”と呼ばれる与沢翼を生みだしたように、いまだそのブランド力は強い。
とはいえ、その伝説は何もブランド力のみによって構築されたわけではないことは、特に自家発電システムを見れば明らかである。
森ビル株式会社と東京ガスが設立した特定電気事業「六本木エネルギーサービス」によって、施設単独で電力やガスなどのエネルギーが供給され、停電など非常時にも対応できるという。
東日本大震災の折には、機能しなくなった東京電力に代わり、都内への電力供給を担った。
かつては“ベンチャー企業の発信地”として話題になったが、今後のエネルギー事情にとってもひとつの指針となるべき高層タワーなのだ。
ここ数年、六本木・赤坂エリアの再開発もますます進み、周囲は同じ森ビル運営の高層タワーマンションも含め、ライバル誕生が続いている。
それでも六本木ヒルズは永遠のスタンダードとしてこの地にそびえ立ち、「六本木ヒルズレジデンス」は今も男たちの入居を待っている。