東急不動産の高級レジデンスシリーズ「コンフォリア」は、前回解説した「ラグジュアリー(贅沢、高級感)」というコンセプトとは裏腹に、その名称にはとんでもないこだわりが隠されている。
下記の地名、生粋の東京生まれ・東京育ちなら分かるかもしれないが、田舎出身者には上京を探そうとしても一目ではこのマンションがどこか分からない。実際に分かりやすい地名・最寄り駅名とともに例として挙げていこう。
コンフォリア愛宕(あたご):神谷町、御成門
コンフォリア春日富坂:後楽園、春日
OZIO新川:八丁堀、茅場町
コンフォリア三田伊皿子坂:白金高輪、泉岳寺
コンフォリア市谷柳町:牛込柳町、曙橋
コンフォリア二番町:麹町
どうだろう? 各物件の記した地名・駅名のほうが、地方出身者もほとんど知っている名前ではないだろうか。
先日、テレビで「不動産の不思議」を扱った番組で、「最寄駅」の表記に関する解説を見た時のこと。たとえば最寄り駅が同じ「自由が丘」と表記されていても、自由が丘駅の“完全な”徒歩圏内と、隣の駅のほうが最寄りなのに自由が丘駅も歩いていけなくはない場所を比較した場合、賃貸物件の家賃は1,000円から10,000ほど違ってくるという。
しかし首都圏出身者でも地方出身者でも、「最寄り駅は自由が丘」と言って優越感に浸れるだけのステータスが自由が丘にはあるらしく、ビジネス的観点から考えるとその表記は正しいといえなくもない。
それでも、コンフォリアシリーズが上記のような地名を利用する理由は何なのか。実はこの地域、歴史的にはかなりの名所なのだ。
たとえば愛宕にそびえる愛宕山は、天然の山としては東京23区内最高峰で、江戸時代から武士の信仰も強く、『桜田門外の変』では水戸藩の浪士は井伊直弼襲撃の成功祈願に訪れている。
文京区にある富坂は、徳川家康の生母・於大の方をはじめとする徳川ゆかりの女性の墓が建てられている伝通院に繋がり、さらに裏手には「黄門さま」でお馴染みの水戸光圀のお屋敷があった。
江戸川区の新川といえば、中川と旧江戸川を結ぶ人口河川。江戸への商品流通における大動脈として活躍し、現在は江戸情緒を復活させる再整備が行なわれているようだ。
ほかにも江戸時代には江戸湾を一望できた伊皿子坂など、江戸っ子にとってはそのプライドを刺激される地名ばかりで、その地域に関しては「東京に住む」というより「江戸に住む」と考えるほうが感覚的には正しい。
コンフォリアシリーズ、男なら一度は「喧嘩と花火が華」と言ってみたくはないだろうか。